めがね

11月8日(木)

 手術以来、実際的に夫にとって一番悩ましい後遺症は、複視の症状だ。両目の動きが揃わないことで、見るもの全てが二重に見えている。外から目の動きを見ても全然分からないのだけど、本人にとってはかなり深刻で日常生活、不便極まりない様子だ。芽生の世話をするのも恐る恐る。


 脳外科の先生達は、次期に改善してくるだろうとの見解もあれば、改善は難しいとの見解もあり、先が見えず不安で仕方がない。目を開けばストレスを感じ、時に目が回ったり、酔ったりしているようだ。
 起きている間中ストレスを感じ、時々負のオーラが溢れ出ているような表情をしていることもある。私もとても悲しくなる。

 とはいえ、スパルタ気質の私は、「そのうち良くなるさっ」とか「複視の見え方に慣れていくさっ」とか「第六感を鍛えよっ」とか無責任に勝手なことを言って、励ましているつもりだが、もしかしたら厳しいことを言っているのかもしれない。


 この複視を改善するために、エコパオのともこさんが絶大な協力をしてくれて、手術後の脳や眼や身体を復活させる新たなリハビリを施してくれている。本当にありがたい。
 そのリハビリは素敵な旧家の診療所で穏やかに行われていて、ゆっくりと夫の身体に変化をもたらしてくれている。電車に乗ってエコパオさんに通う事も含めて全てがリハビリ、夫の生活の中核を成しているようだ。



 一方で夫は、この複視による不便さに堪え難く、行き先が不安で仕方ない日々をどうにか改善しようと、複視治療についてしらみつぶしに調べ、複視や斜視の専門のある神経眼科医にたどりついた。
そして、今日、思い切ってその医者を訪ねた。

 いくつもの検査が行われ、複視の症状を詳細に分析される。お茶ノ水博士のような、その年老いた神経眼科医は、
「プリズムレンズという複視矯正用のレンズを使った眼鏡をかけて、まずは日常生活を少しでも楽にしましょう。これじゃぁ、日常生活が危険だよね」と。
そして、その眼鏡をかけることで両目の動きが矯正され、脳も次第にそれに着いてくるだろうとの見解を言ってくれた。


 こんな風に複視についてはっきりとした見解、治療方針を言われたのは初めてで、夫は、この症状から少しでも解放されるのかととても嬉しそう。眼鏡ひとつで心から大喜び。
 私だって眼鏡やコンタクトレンズがなければ、ものすごく日常生活が不便になるわけで、まぁ、それとあまり変わらないと考えることもできる。


 思えば、退院以来一番嬉しそうな表情かもしれない。これまでどんなに辛くストレスを抱えていたのか、その表情からひしひしと伝わってくる。
「これで、芽生をちゃんと見られるなぁ」と、祝賀アイスを食べながら、生き生きと話している。
 久しぶりのそのいい顔に思わず涙が溢れた。


 もちろん、一番の強敵は脳にある腫瘍だけれど、それに戦うためにも、なるべくストレスを減らして日常生活を送るのが得策であることは間違いない。そのためにあらゆる可能性を探ってできることをやって行くしかない。執着心の先に希望があるのだ、きっと。


 病気と戦っていくため、家族や友人、知人、多くの人々に支えられ、それを大事に心の装備として身につけている。
 そして今日またひとつ、新しいめがねという装備を身につけ、さらに進んで行く意気込みだ。
 とはいえ、特注眼鏡ができるのはまだ先のこと。
 それまでは辛抱。