一年経って
7月2日(火)
難聴、記憶障害、激しい頭痛と吐き気に襲われ、某大学病院に駆け込んだのがちょうど一年前のこと。
頭に水がパンパンに溜まり、非常に危険な状態、そして脳腫瘍の可能性があると診断されながらも、今日はベッドの空きが無いので帰宅し、明日また来て下さいと、残酷で無責任極まりない対応をされ帰宅する。
衰弱仕切った夫を目の前に、とてつもない不安と憂慮すべき事態に、心細く、ほとんど一睡もせずに一夜を過ごしたこと、昨日のように思い出される。
身体を横にしても縦にしても、変わらない頭痛と吐き気。
夫は、痛みと吐き気で眠ることができず、あっちの部屋こっちの部屋へと場所を変えながら、気を紛らわす。私はそれにずっと付き添った。
身体をさすったり、首を揉んだり、あっちこっちと。
夫と私は、お喋りしながら、夜が少しずつ明けてくるのを待った。そして、事態は深刻ではあるけれど、そのお喋りがなんだか少し楽しくもあった。
不安の中で時々二人で笑い合う、それは今でも変わらない。戦友のように。
翌日の入院以来、厳しい闘病生活が始まった。
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保育園の先生方が、夫の病気快癒の願いをこめて、千羽鶴をプレゼントしてくれた。芸術的に素晴らしい出来映え。
忙しい中、ひとつひとつ丁寧に願いを込めて折って下さったことを思うと、本当に嬉しく励みになる。
我が家の守り神
この一年間の壮絶な闘病。
夫は3度の手術、放射線治療、ガンマナイフ治療を経て、同時に先の見えない抗ガン剤治療を続けている。
そして、夫を思って私が流した涙も数知れない。
これらを乗り越えて来られたのも、そしてこれからも乗り越えて行こうと意気込めるのも、家族・親戚、近くの友人から遠い海外で暮らす友人まで、たくさんの思いと支えがあるからだ。
そして、何より愛娘の芽生の存在の偉大さは、はかり知れず尊い。
マッシュルームカットのよく似合う、とても愛らしい芽生。
私たちは毎日芽生の成長を楽しみ、笑顔で過ごし、くだらないことやギャグをたくさん言って大笑いする。
病気以前の幸せのカタチは壊れてしまったけど、どんな逆境があろうとも、新しく幸せのカタチは作られるものだ。
今日、何かしらの幸せを感じることができればそれでいい。
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私たちは決して強くないし、達観してもいないけれど、この崖っぷちの状況を受け入れ、そしてようやく慣れてきた。
戻れない過去を悔やみ、未来の不安にかられる心境も一段落したか。
いや、でも、実際は行ったり来たりでもあるが。
ともかく、これからも、三人でたっぷり今を生きる。