そのまんま

8月22日(木)


一日、一日、状態が変わる。急速に変化する。

夫は、先週緊急入院して以来、日によっては元気な日もあるが、
病状や症状、意識レベルが、1、2段階下がっていると言われた。

著しく効果がでたように思えたアバスチン投与の経過も、
いまひとつ、まだ分からないとの主治医の見解。


***


仕事を早めに切り上げ、佐代ちゃんと病院へ行く。
いつもの大部屋の窓際に修ちゃんの姿がなく、
すごく焦る。

見通しの悪い位置に居るのは、危険との判断で、
ナースセンターの目の前の個室に移されていた。
常に監視が必要とのこと。


私が様子を見に行く夕方ころは目を覚まして、話をしたりできるが、
それ以外の時間、一日の20時間近くは、
ほとんど眠っていて、覚醒しにくくなっている。


急変して意識を失うかもしれない、呼吸が止まるかもしれない、
発見が遅れるかもしれない、、、
会わせたい人に会わせたほうがいい、、、
ある程度覚悟しておいてください、、、などと、
一刻を争うようなニュアンスを言われる。
「あくまでも可能性として」と、医者はもじもじ念を押しながら。


***


そんなことを言われて、病室に戻ると、
佐代ちゃんと楽しそうに談笑しているし、私たちが食べるソフトクリームを食べたがる。
衰弱はしているけれど、楽しそうにしている。


夜、お見舞いに来てくれたマチちゃんのピンクのワンピースを
「マチちゃん、その色いいね〜。かっこいいね〜!」と褒めるし、
よしみねくんが着てきたピストルズのTシャツを
「かっこいいなぁ!」と羨ましがるし、
差し入れの生どら焼きも
「これ、うまいなぁ。皮とあんこがしっとり馴染んでいるところがうまい!」
と、いつもの味分析もする。
もちろん、ギャグも言ってみんなを笑わせる。


修ちゃんは修ちゃんで、何も変わっていない。
病気でも病気じゃなくても、
瀕死でも瀕死でなくても、修ちゃんは変わらない。
そのまんま。


だから、医者の症例に基づく見解、忠告は、
頭のすみに置いておき、
目の前の、そこにいる “修ちゃん” を信じることにする。