引きつづき、おまじない


9月14日(土)


勢いはどうにかして止められないのか。

できる治療を全てやり尽くしても、
夫の頭を支配しよとしている腫瘍群はビクともせず、
さらに勢いを増して、押し進めてくる。

脳幹を取り囲み方むカタマリは、
傲慢に、侵攻し、つぶそうとしている。
憎たらしい顔つき。

ということが、昨日のMRI検査ではっきりした。



夫は、声を出す事がかなり厳しくなり、
意思表示は小さくかすれた声から、口の動きから、表情から読み取る。
それと、ゆっくりと動かすジェスチャー


メイのおまじないは、
「チチンプイプイの べーーーー」に、
「チチンプイプイの オナラーーー!」
が加わった。

病室に反響するくらいの大声で、毎日、何度も叫んでいる。

勢いをつけるため、カウントダウンも付け加えるが
「さん、しー、ごー! チチンプイプイのオナラーーー!」
と、めちゃくちゃだ。
みんなで大笑い。

メイの気迫とくるくる回す指につられて、
トッチャも右手人差し指を立てて、ゆっくり円をかく。

おまじないは最強のはずだ。



奇跡、起きて欲しい。

治療を全て止めた時、
何かのきっかけで、スーっと腫瘍が抜け出るんじゃないか。
宇宙まで飛んで行くんじゃないか。
そんな力が、修ちゃんにはあるんじゃないか。

点滴を抜いて、電車に乗って、
途中でラーメンでも食べて、
家まで帰ってくるんじゃないか。


家族みんな、友人達みんなが、
心からそんなことを本気で本気で信じている。

余命がうんぬんとか、いくら言われても。



小さく優しい声


9月12日(木)


毎日、昨日より今日は良くなってますように.....と、願いながら病院へ通うが、その願いはなかなか現実のものとはならない。


今週に入って、さらに状況が変わる。
目に見える変化が、思いの外ペースが早くて、私はそのペースに気持ちがついて行けず、夫を目の前に、気がつくと目頭が熱くなる。


緩和的な処置が進み、痛みのコントロールが上手くできている反面で、さらに眠気は強くなり、私やお見舞い客が来ていてもあまり目を覚まさない。


時々、食べ物を欲しがると、こちらも嬉しくて進んであげようとするが、固形物はほとんど上手く飲み込めず、呼吸が苦しくなってむせ返り、口の中のものを取り出し吸引するという騒動になる。

本来食いしん坊の夫だから、少しでも味あわせてあげたいところだが、誤飲のために肺炎になっている可能性があるので、そう勝手なこともできない。

大きな目を見開いて、涙ながらに苦しそうにする顔が、可哀想で、切なくて、たまらなくなる。



記憶の混乱も目立ち始め、夫はいろんな時代と場所と状況に、タイムスリップしているようだ。

花火の準備をしなくてはとか、マイクにスピーカーをうんぬんかんぬんとか、明らかに今いるベッド上のことではないことを口走るが、
私はそんな言動にはさほど驚かず、適度に話を合わせて、彼とできる会話を楽しむようにする。

とにかく彼とコミュニケーションが取りたくて、何でもいいから話をしたい。
私は彼が言い出す事を、面白く突拍子もない発言を、心から楽しみにしている。


***


今日は、また少し昨日とは様子が変わり、声が出しにくくなっていた。
太く大きくバリバリとした修ちゃんの声が、小さく細くかすれた声になり、声を出すのも辛そうに。


それでも、大阪から来てくれた佐代ちゃんや、福岡へ里帰りするユキちゃんに
「気 を つ け て な」と小さな声で激励する。
その小さくかすれた声も、やっぱり温かく優しい修ちゃん声だ。

そして、家に帰る私にも「ま り 子 も 気 を つ け て な」と優しく微笑んでくれる。

優しさ溢れる彼の人柄は、どんなときでも変わらず、感動する。
そして心から尊敬する。



ギターを弾く猫のTシャツを着て、小さくかすれた声を出す修ちゃんも、なんだか可愛らしくて、とても愛おしい。


BFさんからいただいた絶妙な猫Tシャツ




ラブとおまじない

 
9月8日(日)


土日になると、たくさんのお見舞い客が来てくれる。

夫は、熟睡していて対応できないこともあるが、目を覚ますと、相変わらずのユーモアで気の利いたことを言う。ひとことふたこと、ぽつぽつと。
お見舞い客は、その世界に惹き込まれ、皆、笑顔になる。
なんだか、少し教祖っぽい。


先日、絶望的な事実を言われたけれど、でも、
「修ちゃんに限って、これで終わらせるわけがない」「何か仕出かすんじゃないか」「マジで、奇跡を起こすんじゃないか」「これからじゃないの!」と、
家族も友人達も口々に言い合い、それを本気で思っている。
「だって、修ちゃんだよ!」の一言で、全て片付くような奇跡的な力のある人だから。


***


今朝、メイは、トッチャへのおまじないの練習をする。
人差し指をくるくる回しながら、
「チチンプイプイ の べーーー!」と。
チンプイプイの「プーイ」が「ベーーー!」というメイのオリジナルで、
メイはその「べーーー!」がツボで、言いながらゲラゲラと大ウケしている。


昨日、妹の千恵ちゃんとたかおの入籍にあたり、修ちゃんは渾身の力を振り絞り、婚姻届にサインをした。
皆に背中や腰を支えられながら身体を起こし、もはや目測が全く出来ない状態なので、右手をその枠に合わせてサポートしてもらい、力強く書ききった。
そして、ふたりは、本日婚姻届けを提出した。


兄弟姉妹と私の母、メイがそろい、ムーさんがタイミングよく登場したところで、小さなケーキをカットして、ふたりの入籍を祝う。
夫は、鎮痛剤が効いてしまったのか、よく眠っているが。


ナースセンターの真ん前の重病人部屋はお祝い会場に。
お花を飾り、ケーキを振る舞い、ホワイトアルバムをBGMに、幸せムードに談笑する。
仲良し看護士のWさんも何事かと顔を出し、お祝いの声をかけてくれる。


皆でワイワイと騒いでいるのに、夫は依然として目を覚まさない。
そのうち、メイが、今朝練習してきた
「チチンプイプイ の べーーー!」のおまじないを連呼する。
メイはどんどん調子を上げてきて、部屋中に響き渡るような大声で何度も叫ぶ。

それでも、夫は眠ったままで、私とメイと母は一足先に帰った。



その後の帰宅途中、修ちゃんが突然目を覚まし、
シュークリームを食べているとか、コーヒーを飲んでいるとか、カツサンドを食べているとか、「まいう〜」と言ってるとか、証拠写真付きで送られてくる。

千恵ちゃんとたかおのお祝会場は、修ちゃんの復活祭みたいになっているようだ。


おそらく、メイの「チチンプイプイのべー」おまじないが効いたか、
あるいは、千恵&たかおのラブラブパワーが効いたか、だろう。


やっぱり、修ちゃんはやってくれる男だ。


 
9月5日(木)

約4週間振りのMRI検査が行われた。
先月の急激な腫瘍の広がりに対し投与した新薬アバスチンの、その効果を確かめる。


輪切りに撮影された画像を見ながら、主治医の説明を千恵ちゃん、たかお、ヒロミと聞く。
主治医は過去の画像を見せながら、これまでの経過など丁寧に細やかに説明する。妙に、ためながら。
そして、いよいよ今回の画像を映し、見た瞬間、私は涙が溢れ、号泣した。


白く映し出された腫瘍群は、さらに浸潤範囲を広げ、小脳の陣地大半を征服しようとしている。まるで碁盤上の白い碁石のように、脳幹を取り囲もうとしている。
じわじわと、いやらしく、地に足つけて。


第1回目のアバスチン投与は、残念ながら効果がみられてないのではないか、、、との見解。まぁ、見れば分かる。
第2回目の投与については、来週の検査で判断すると。その結果次第では、治療を今後続けて行くか否かという選択、そして、緩和ケアにシフトして行くか否かという選択になる。


夫は、主治医からのその事実を受け、ひどく辛そうな顔になり、
「死にたい人間なんか、いませんよ」
と語気を荒げて、言い捨てる。

彼の不安、悔しさ、無念さを思うと、私は声が出ない。



ずっとそばに居たいが、夜9時を過ぎ消灯になる。

タオルケットにくるまったシルエットが、小さく細く、泣いているように見える。
私は絶望的に悲しみ、泣きながらエレベーターを降りた。

千恵ちゃんもたかおもヒロミも、皆、同じく、目を真っ赤にし、肩を落としながら帰る。


ペコちゃん焼き

 

9月4日(水)

第2回目のアバスチン、効果は出ているのだろうか。
この数日彼の様子を見るかぎり、画期的なことはほとんどなく、
依然としてぐったりし、頭を抱えて眠っている。

前回の一時的な快復を期待していただけに、その姿に消沈する。
過度な期待を持つこと、だんだん消極的になってくる。



連日、会社の社長さんや同僚の皆様が代わる代わる夫のお見舞いに来てくれている。
久々に会える喜びもあるだろうが、彼の様子の変わりように困惑もあるだろう。

仕事では、ムードメーカー的な役割だった彼のエピソード、武勇伝を面白ろおかしく皆で語ってくれる。
頭の上でそれを聞きながら、夫も時々、懐かしそうに笑い、口を出す。
同僚の皆さんも、そんな夫の様子を嬉しそうに見守ってくれる。
夫はどこでも、ファンを作るタイプなのだ。


***


今日は、頭痛が激しく、どんどん増してくるようで、強めのモルヒネ系鎮痛剤を処方された。
その薬が効いたのか、頭痛が緩和され、穏やかな表情になる。
意識は少しぼんやりとしているが。


私が席を外しているあいだ、お見舞いに来てくれたユキちゃんと狩生くんとも、久しぶりに楽しくロック談義をしていたよう。


そして、壁に貼り付けた芽生の拡大写真を見ては、終始ニコニコしている。
「修ちゃんって、まつ毛が長くて、芽生に寝顔が似てるね!」と、私は大サービスのお世辞を言うと、
可愛い顔をしてポーズをとる。

さらには、ヒロミとマンゴーと私の女性陣に囲まれていることをいいことに、
ペコちゃんみたいに、ベロを横から出してアピールする。


“ペコちゃん焼き” に似てる


痛みから解放された夫の表情は、柔らかく、素敵な微笑みで、
久しぶりに、その顔が見れて、
私は幸せな気持ちになった。


異次元に頼る


9月2日(月)


ここのところ、夫の眉間の “太い皺” は、あまり緩むことがなく、厳しい表情が続いている。

ほとんど絶え間ない頭痛に悩まされる上、食べ物、飲み物を吐き戻す回数も増えている。
記憶の混乱も時々見られる。


先週の土日、大勢のお見舞客を持て成していた姿とは、明らかに様子が違うこと、衰弱してきていること、認めざるを得ない。
本人の辛さが伝わってくるだけに、私はその姿に、度々、涙が溢れる。


それでも、メイが目の前に現れると、表情は明るくなり、猫なで声で
「おぉ〜〜! メイかぁ〜!」と嬉しそうにする。
やっぱり天使の力はすごい。


***


現在、出来る限りの最善の、最新の治療は全てやっているが、
その上でのこの状態を、なんとか打破すべく、
私と兄弟姉妹は、皆で力を合わせ “氣の玉” を作り、
修ちゃんに浴びせる。


両手をこすり、右手と左手の内側に気を廻らすイメージ。
すると、両手が反発し合うような感覚になる。
そして、なんとなく“氣の玉” が出来ているような気がする。

修ちゃんのベッドを囲み、皆で立ち上がって、フワフワと手を操作する姿は、少し異様だろうけど、
そんなことは構っていられない。
我々にできることは何でもやるのだ。


こうなったら、奇跡を起こすため、
「祈り」とか、「気功」とか、「笑い」とか、そういう異次元なパワーあるものに真剣に取り組みたくなる。

特に「笑い」で発生するナチュラルキラー細胞は、免疫力を高め、ガンの治癒力を高める作用があると、世間一般でも言われていること。
彼を “笑い攻め” とかにしたら、効果が出るかもしれない。


***


明日からアバスチン投与(第二回目)を行うこと、主治医の先生から説明を受ける。
前回は頭痛が軽減したこともあり、その効果を大いに期待したいところ。


真面目な主治医の説明をひとしきり聞いたあと、私は、
「先生、回診にくるときには、小話のひとつでもして、彼を笑わせてやってください!」
とお願いした。

真面目な主治医は、
「それは大変です。ネタがもちません。ははは。。。」
と真面目に答えてくる。


そのやり取りに、修ちゃんが声を上げて笑っていた。



ムーさんからいただいた、豪徳寺の元祖招き猫。奇跡を招け!


日々

 
8月29日(木)


先週試したアバスチン。
効果と副作用の有無や程度を、私たち家族は、毎日、外から見る夫の様子から探ろうとする。
といっても判断の材料は、食欲と顔色と雰囲気とトイレまでの歩行の様子。


頭痛と吐き気は日によって、時間帯によってムラがある。
友人がお見舞いに来てくれている時などは、気分も高揚し、痛みや吐き気も多少散らされているような感じだが、それ以外の時間帯は、それらの困難に向き合い、緩和を求めて強い鎮痛剤を投与してもらう。

そして、ほとんどの時間を眠って過ごしている。


私や家族、友人達が居るあいだ、嬉しそうに明るく愉快に過ごそうとする。だけど、たまに、痛みや吐き気に耐える表情を見せることもある。
眉間の “太い皺” がバロメーター。

マイペースな彼は、辛くなれば遠慮なく、
「ちょっとスリープします」と断って目をつぶる。


彼の発言のひとつひとつは、どれもユニークで、
辛い状況でも、その独特さで、皆を笑わせる。
さすがな人だ。


***


先日撮影したCTの結果を主治医から聞く。

心配されている一番の副作用は、腫瘍付近の脳出血だが、そのような徴候は見られない。腫瘍の広がりはCTでは正確には判断できないが、脳の浮腫がそれほど変わっていないとのことで、著しい変化は無いだろうとの診断。
良くも悪くも横ばい。


願わくばもちろん、少しでも快復していてほしいが、急激に悪化していないのであれば、それで良しとする。ほっとする。


また、9月初めに撮影するMRIで、詳しい状態が分かる。
分かりたいような分かりたくないような、複雑な心境。
吉報はもちろん知りたいが、凶報はいいかげん堪え難い。


***


最近いただいた祈りと激励の品々。

お守り、カード、キーホルダー、ダルマ。
個性豊かで温かなメッセージと共に。


私たちを気にかけ、励ましの声をかけてくれる方々、
祈ってくれている方々。
お見舞いに来てくれている、愉快で温かい友人達。

みなさまのお気持ちに救われています。